「この技術を叩いている人はこんな技術も叩いています」
tumblrをエロ画像とデマ上等の悪趣味テキストコピペに使ってて、海外の子供たちが自分をコジャレた存在に見せるためのステキ画像コレクションtumblrのほうは全然見ていないから、なんで大手が買収したがるのかいまいちピンと来ない。
聖徳太子の描いた理想国家を具現化しようとしたのが大化の改新だった。
■1.「戦争に備える国づくり」と「独裁的な政治に対する不満」大化の改新前夜の国内外の状況を東京書籍(東書)版は以下のように説明する。
__________
7世紀の中ごろ、唐が対立する高句麗(コグリョ、こうくり)を攻撃し、そのために朝鮮半島の国々では緊張が高まりました。日本でも戦争に備える国づくりを急がなければなりませんでしたが、そのころ国内では、蘇我氏の独裁的な政治に対する不満が高まっていました。[1,p33]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄高句麗にわざわざ「コグリョ」と朝鮮語読みのふりがなをふっているのは、以前にも述べたが[a]、東書版に見られる半島への不見識なおべっかである。高句麗を朝鮮語で読み仮名をふるなら、なぜ唐の方には中国語読みを書かないのか。
ちなみに同じ状況を、自由社版はこう記す。
__________
7世紀の中ごろになると、国力をつけた唐は、対立する高句麗を攻撃した。朝鮮半島の3国に緊張が走り、日本も危機を感じ国家の体制を強化しなければならなかった。[2,p68]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄この「日本も危機を感じ」に比べれば、「戦争に備える国づくり」とは、いかにも軍国主義と言わんばかりの表現である。特に、同じ頁で、半分近くものスペースを使って、「大野城と水城(みずき) 九州の博多湾の近くに作られた軍事用の施設です」という説明で、巨大な山城と水城の鳥瞰図を載せている。これが「戦争に備える国づくり」という事の説明なのだろうか。「軍事用」というよりは、「防衛用」としか思えないが。
そうした「戦争に備える国づくり」と、「そのころ国内では蘇我氏の独裁的な政治に対する不満が高まっていた」という次の一節との脈絡がまったくついていない。両者はたまたま同時に生じた出来事なのか。
■2.「聖徳太子の理想を受けつぎ」東書版の言う「蘇我氏の独裁的な政治」を、自由社版は「蘇我氏の専横」と節を改めて、次のように具体的に述べている。
__________
ところが、聖徳太子が亡くなった後、蘇我氏の一族が専横を極めるようになった。蘇我馬子(そがのうまこ)の子の蝦夷(えみし)は、天皇のようにふるまい、自分の息子をすべて王子と呼ばせた。蝦夷の子の入鹿(いるか)も、聖徳太子の長男の山背大兄王(やましろのおおえのおう)をはじめ、太子の一族を一人残らず死に追いやった。やがて、聖徳太子の理想を受けつぎ、蘇我氏をおさえ、天皇を中心とする国づくりを求める機運が生まれた。このころ、太子が派遣した留学生があいついで帰国し、唐の進んだ政治制度を伝えたことも、改革の機運を高めた。[2,p54]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄「蘇我氏の専横に対する不満」と言うと、単なる権力争いの中での恨み、やっかみのようだが、「聖徳太子の理想を受けつぎ」という一言で、まったく違った光景が見えてくる。「歴史教科書読み比べ(8) ~ 聖徳太子の理想国家建設」[a]で述べたように、太子の理想とは「豪族が争いをやめ、天皇を中心に協力していく」という事だった。
この太子の理想は、同時に唐の圧力に対して、「国家の体制を強化」するための道だった。そして、専横をふるう蘇我氏が、その道を妨げていたのである。「天皇のようにふるまい」「息子をすべて王子」を呼ばせるとは、いずれ皇室を打倒して、取って代わろうという野望を持っていたのだろう。
蘇我馬子は崇峻天皇を弑逆し、その孫の入鹿は聖徳太子の理想を受けついだ御子の山背大兄王一族を亡ぼした。蘇我一族には野望のためには悪逆をも厭わない精神が流れていたようである。
民を大御宝と呼び、その幸せを祈る伝統を継承してきた皇室を、もし蘇我氏が打倒して王家となっていたら、我が国の歴史は中国大陸のように権力闘争と戦乱にまみれたものになっていただろう。
■3.「身を捨てて、国のもといを固くするのも、また男ではないか」山背大兄王については、東書版では名前すら出てこず、自由社版でも「聖徳太子の長男」としてしか述べられていないが、大兄王一族の滅亡は、我が国の歴史の中でも美しくも哀しい一幕で、教室ではぜひ先生方に物語って貰いたいところである。以下の坂本太郎博士の記述は、中学生の心にも訴えかけるものがあろう。
蘇我入鹿は国中の人民を勝手に招集して、皇室を真似して、父・蝦夷と自分のために陵(みささぎ、巨大な墓)を作らせた。天下の人心が蘇我氏を離れ、山背大兄王に向かうと、643(皇極天皇2)年11月、入鹿は軍勢を出し、斑鳩の王の住居を襲った。
王の従者たちは戦ったが、多勢に無勢。王は妻子とともに、近くの生駒山に逃れた。一人の従者が、「いったん東国に逃れて、所領の人民を率いて戦いましょう」と進言した。王はその勧めを聞かなかった。
__________
「おまえのいうとおりにすれば、勝つことは間違いあるまい。だが、わたしは十年の間、人民を使うまいと心に決めている。わたし一身のために、どうしても多くの人々に苦労をかけることができよう。またわたしについて戦ったために、親を失った嘆きを人民たちに与えたくない。戦いに勝つばかりが男ではない。身を捨てて、国のもといを固くするのも、また男ではないか。」[3,p200]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄王は法隆寺に入り、「わが身を入鹿に賜う」と述べて、妻子・兄弟23人、一族とともに自害して果てた。坂本博士は、こう結ぶ。
__________
非は相手にあるにもかかわらず、なおわが身を捨てて人々に苦労をかけまいというこの行為は、仏の教えそのままの実行であった。父聖徳太子の感化がどんなに偉大であったかもおしはかられる。古代史上たぐいない、美しい人間精神の表れであるといえよう。[3,p201]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄このような「美しい人間精神」に触れるのも、歴史教育の意義の一つでなければならない。
■4.蘇我氏滅亡山背大兄王の「身を捨てて、国のもといを固くする」という覚悟は、大化の改新によって、わずか2年で現実のものとなっていく。自由社版の言う「聖徳太子の理想を受けつぎ、蘇我氏をおさえ、天皇を中心とする国づくりを求める機運」が生まれたのである。
__________
蘇我氏をたおす計画を心に秘めていたのは、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)であった。鎌足は、蹴鞠(けまり)の会を通じて皇子に接近し、2人は心の中を打ち明けあうようになった。それから1年半をへた645年6月、朝鮮からの使者をむかえると、中大兄皇子は蘇我入鹿を朝廷にさそい出して斬り殺した。蝦夷は屋敷に火をつけて自害し、蘇我氏は滅亡した。[2,p55]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄さらに自由社版では、入鹿殺害の光景を描いた半頁ほどの絵巻を掲載している。刀を振り上げる皇子、弓を持った鎌足、首を落とされた入鹿、驚く天皇と、臨場感あふれる描写となっている。
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この部分を、東書版では、冒頭の「蘇我氏の独裁的な政治に対する不満が高まっていました」に続いて、こう書く。__________
この情勢を見た中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、645年、中臣鎌足(後の藤原鎌足)らとともに蘇我氏をたおし、新しい政治のしくみをつくる改革を始めました。[1,p33]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄わずか3行のみである。出来事のあらすじだけを追った記述で、中学生の心に訴えかけるものは何もない。
■5.日本独自の年号を始めた意義新政権が最初に取り組んだのは、日本独自の年号を立てることであった。自由社版によれば:
__________
この年、朝廷は日本で最初の年号を立てて、大化元年とした。東アジアで中国の王朝が定めたものとは異なる、独自の年号を制定して使用し続けた国は、日本だけであった。[2,p55]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄日本独自の年号を持つ目的と意義を、歴史学者の坂本太郎・東大名誉教授はこう解説している。
__________
このたび、新政を行おうとして年号を立てたのは当然だった。それは、国内に君主威令をおよぼすとともに、国外に、独立国としての日本の存在を宣言したものである。服属の関係にある国は自国の年号を持たず、宗主国の年号を使う。新羅が唐の年号を用い、高麗が宋や元の年号を使ったのはその例である。昔の年号には、そうした重大な意義があった。だから、後に幕府が政治を行った時代でも、改元だけは、天皇でなければ行えないものとされていた。[3,p213]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄年号について、東書版ではこう記すのみである。
__________
このとき、はじめて「大化」という年号が使われたといわれるので、この改革を「大化の改新」といいます。[1,p33]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄これでは元号の開始という事実は伝わっても、その意義や、それに込められ我が先人だちの新国家建設の意気込みは伝わらない。
独自の年号を持つことは、我が国の独立国家としの立国の精神のあらわれであり、それを理解することは、日本国民としての基本的教養であると弊誌は考える。それを中学生に教えるには、この大化の改新こそ、最もふさわしい歴史場面なのである。
■6.公地公民の狙い新政権は、いよいよ国内体制の変革を始める。その内容を、東書版は次のように説明する。
__________
皇子は、鎌足や帰国した留学生らの協力を得ながら、それまで豪族が支配していた土地と人々とを、公地(こうち)・公民(こうみん)として国家の直接の支配のもとに置こうとしました。また、政府の組織を整えて、権力(けんりょく)の集中をめざしました。[1,p33]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄これでは生徒たちは、権力争いに勝った皇子が、さらに絶対的権力を握ろうとした、と読んでしまうだろう。特に「国家の直接の支配」とか、「権力の集中」などというマルクス主義臭のする用語を使っているので、なおさらである。
同じ部分を、自由社版は、こう説く。
__________
翌年には、これまで皇族や豪族が私有していた土地と人民を、国家が直接統治する、公地(こうち)公民(こうみん)の方針を打ち出した。大化元年に始まるこの改革を、大化の改新と呼ぶ、大化の改新は、聖徳太子以来の理想を実現するために、天皇と臣下の区別を明らかにして、日本独自の国家の秩序を打ち立てようとしたものだった。[2,p55]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄東書版のように、豪族も国家も同じく「支配」という言葉を使っていたのでは、単に権力が移っただけと思ってしまうが、「私有」から「直接統治」と言えば、その違いが見えてくる。
各豪族がそれぞれ民と土地を私有していた部族連合国家から脱して、天皇を統合の中心とする統一国家にしていこう、というのが、大化の改新の狙いだった。
■7.太子の国家建設の理想を受け継いだ大化の改新坂本博士は、公地公民の狙いを、土地を国家のものとし、6歳以上の人民に一様に口分田を授けた、班田収受の法と同じ精神だったとして、こう解説している。
__________
それまで、土地も人民も各豪族が支配していた。農民たちは、自分の土地をまったく持たず、米その他の生産物の大半を貢納することで、耕作させてもらう小作人にほかならなかった。そうした人民の苦しみを救うことは、新政の大きなねらいの一つであった。[3,p221]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄人民を「大御宝」と呼び、その安寧を神に祈るのが天皇の祀(まつ)り事であり、またそれを現実の国家として具現化しようとしたのが、皇室の伝統的な政(まつりごと)であった。
その伝統の上に、天皇を統合の中心として臣(官僚)と民が「和」の心を持って力を合わせていく国家という理想を描いたのが、聖徳太子であった。[a]
太子の長男・山背大兄王は惜しくも蘇我氏の兇刃に倒れたが、その悲劇を乗り越えて、聖徳太子の国家建設の理想を具現化しようとしたのが、大化の改新であった。
「理系学部の男子」と「女子の憧れる理系男子」はJavaとJavaScriptぐらい違うし、これが理解出来たあなたは残念ながら間違いなく前者。
42:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/08/13(土) 18:38:04.53 ID:df8MOvsc0
西洋のファンタジーってよく魔物の大軍との戦争あるけど、
アレ明らかにモンゴルに対するトラウマからきてるよね
言葉も常識も通じない野蛮人の侵略411:名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/08/14(日) 04:07:54.69 ID:o3xt+SOn0
»42
どころか東洋人全体に対する民度に決定的な影響を与えているような気がす476:名無しさん@涙目です。(catv?):2011/08/14(日) 09:51:00.17 ID:nfVAIbOpi
»42
ロードオブザリングでもモルドールの軍に町が囲まれて攻撃されてたが、今思うとどこかにモンゴル軍のイメージあるんだろうな。
名前もなんか似てるし。488:名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/08/14(日) 10:12:45.65 ID:o3xt+SOn0
»476
あれは東ローマとイスラームの戦いでしょ
モルドールはモンゴル人と中東人の混成部隊
This is how my dashboard was earlier
「メモしないでも覚えているような思いつきは大したものではない。メモしないと忘れてしまうような着想こそが貴重なのです。」
中公新書「韓国の軍隊」という本を読んだが、これが実に面白かった。
ご存知の通り韓国の軍隊は徴兵制を敷いているが、このことにより、韓国の成人男性は、様々な体験をしていて、
様々なリテラシーを身に付けている。
例えば、いろいろな設営作業に従事するので、土木関係者でなくても土木リテラシーが身に付くし、
「対民支援」ということで、過疎地の農作業支援に従事するため、
ソウル生まれのソウル育ちの都会っ子でも、農作業リテラシーが身に付いてしまう。
※韓国軍が、一見軍事とは縁のない過疎地の農作業支援を行うのは、
「過疎化が進行してしまって、限界集落・無人化してしまうと、そこが即ち北朝鮮の工作基地になってしまうため、
国防的には最低限の農村集落居住を維持させたい」という国家の意思が働いているようである。
しかし、韓国徴兵制の最大のメリットは、「権力者リテラシーを、ほぼ全員に身に付けさせられる」という、巧妙な仕組みにあった。
韓国の徴兵期間は24ヶ月間。
最初は二等兵で入営するが、早くて8ヶ月程度経ると一等兵に昇進し、更に早くて6ヶ月程度経ると上等兵に昇進し、
更に早くて5ヶ月程度経ると兵長に昇進するらしい。
つまり、早くて19ヶ月程度経ると、兵長に昇進する。
逆に、よほど「素行が悪い」「体力的に劣っている」ということがなければ、大体の男性は、除隊までの24ヶ月の間の最後の方で、
兵長にまで昇進するらしい。
通常、兵長は10人程度の下等兵を束ねることになる。
つまり、「10人程度の組織のリーダー」を、徴兵期間の最後の数ヶ月間、体験することになる。
こういう仕組みが成立する前提としては、
「徴兵入営のタイミングが、月によって「平準化」されている、というカラクリ」が前提となる。
例えば第99兵団で、2013年4月入営の徴兵兵が1人、
5月入営の徴兵兵が1人、6つき入営の徴兵兵が1人・・・と、
常に毎月1人入営のペースを維持していれば、
「2011年6月入営、2013年5月除隊の兵士」から見たら、
「2013年5月時点では、自分の周囲は23人の後輩兵」ということになる。
「入営時期を平準化させ、コンスタントに後輩兵が誕生する仕組み」を作っておくことで、
「徴兵期間の最後の時期に、下等兵を指揮するリーダー体験を味わうことができる」という仕組み。
そして、徴兵体験者が異口同音に口にするのは、
「徴兵当初はキツかったが、除隊直前の兵長体験が非常に心地よかった」という体験。
「兵長を体験したことで、権力の魅力がわかった、除隊後一般社会に出ても、権力者を目指したい」という男性が、結構多いらしい。
つまり、韓国の徴兵制度は、最後に兵長を経験させることで、
「リーダー経験、権力者経験を、等しく成人男性に積ませることで、
市民の上昇志向、権力志向を植え付け、「肉食系韓国市民」を多数育成し、
よって韓国社会を権力志向社会にする」という「権力経験装置」の役割を果たしている、ということになる。
au お客様サポートが Operaで動かないんでJSをぱぱっと見てみたら
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しかし日本だけは、この話が当てはまらない。今でも奇妙な機種が多く、またそれらがお互いに微妙に違っている。世界のそのほかの部分は、Samsungに右へ倣えしているから、どこでもほぼ同じだ
138:
チーター(長屋):2012/09/03(月) 11:43:41.61 ID:qD2oP1Zn0
昔古本屋で買った「再現!古代人の知恵と生活」っていう本に載ってる
横井庄一の「私の原始生活」ってコラムがおもしろい
どうやって28年間もジャングルで生き抜いたかが書かれてるんだけど
機織り機自作して洋服を作っちまうんだぜ?
俺はこれを読んでサバイバルは無理だと確信した
142:
ペルシャ(チベット自治区):2012/09/03(月) 11:47:38.75 ID:bQe8hcyd0
»138
あのオッサンはサバイバルの天才だよ。
銃のノズルフラッシュ見てから弾丸避けれたらしいし145:
マーブルキャット(大阪府):2012/09/03(月) 11:49:25.77 ID:Q0oLxDYV0
»142
>銃のノズルフラッシュ見てから弾丸避けれたらしいし
それは小野田だろ149:
ペルシャ(チベット自治区):2012/09/03(月) 11:52:16.03 ID:bQe8hcyd0
»145
間違ったすまん
っていうか今の今まで小野田寛郎=横井庄一だと思ってた161:
マーブルキャット(大阪府):2012/09/03(月) 11:59:36.49 ID:Q0oLxDYV0
»149
小野田寛郎と横井庄一は、その生き残りかたも生き残る動機も根本から違う
小野田は陸軍中野学校の出身で正真正銘のスパイ(情報将校)
日本はアメリカに占領されたものの、
必ず臨時政府が国外に樹立されているものと信じて、自身もフィリピンに潜伏して
フィリピン軍相手にたった2名(最後は一人)でゲリラ戦を戦い、
「捲土重来の日のために」情報収集に当たってた。
自作でラジオもアンテナも作っちゃって情報収集。
ベトナム戦争が始まった時には、いよいよ日本奪還戦争が始まったかと小躍りしたそうだ。143:
アンデスネコ(東京都):2012/09/03(月) 11:47:56.92 ID:oNMnfOkTP
»138
食べ物に余裕があったからそこまで文化的な生活ができたんだろう。
でもあの人現地人から盗んだりしてたんでしょ?163:
チーター(長屋):2012/09/03(月) 12:01:11.82 ID:qD2oP1Zn0
»143
今読み返してみてるんだけど
川があって水に困らなかったことが一番大きいって書いてるな。
水浴ができることで皮膚病を防げ、川の生物は食料になり、解体した動物の血を流し、
歩行のときは(一応まだ本人は戦闘中だと思ってるから)
川の中を歩けば足跡がつかない、って理由らしい。
次にヤシの木。果肉やコプラ水は食料になり、
繊維はロープや衣服になり、油もとれるんだそうだ。
服つくるのは文化的ってより、ジャングルじゃ体中が傷だらけになる上、蚊がハンパないらしい。
だからどうしても長袖長ズボンが必要だったんだと。
パゴの木の皮から糸をとり、それをハタで縫って布にし、そっから仕立てるんだけど
服が仕上がるまで半年はかかったそうだ。
あと、モノづくりは精神的な支えになったと書いてある。
アイコンなどに使っても良いタンテキちゃん画像作りました。並べるとなんだかポップですね。どうぞ、お使いくださいな。
妹が友達から誕生日プレゼントにピアスをもらったのでカーチャンに自慢してた
妹『彼氏が出来たらこれ付けてデート行くんだ!』
カーチャン『男はアクセサリつけてない女の方が好きなんだよ。
『オレが買ってやろう』って思わせるんだよ。だからあんたはだめなんだよ』
No.10565 カ ア チ ャ ン の 名 言 挙 げ て け - コピペ運動会 (via nobody-nogroup)
(via ishida) (via mtsuyugu) (via nwashy)
(via glasslipids) (via ryusoul) (via kusamakulove) (via juk1) (via cole107)FacebookとMicrosoftにとっては残念なことだが、Yahooの最高経営責任者(CEO)Marissa Mayer氏は、Tumblrをすぐにでも買収しようと積極的な姿勢を見せているようだ。